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日本の代表的な武道のひとつ「空手」。
オリンピックの正式種目にも採用され、世界的にも多くの競技者がいますが、空手の歴史までは知らないという方も多いですよね。
そこで今回は、空手がどのように発祥し広まったのか、その歴史を深掘りしていきます。
知っておくと外国人のお客さまとも一味違う会話ができるので、ぜひ読んでみてください。
空手の発祥と源流|「唐手」とは
まず、空手がどのように生まれたのかを見ていきましょう。
空手の起源については色々な説がありますが、もともとは「唐手(トゥーディー)」と呼ばれていたようです。
この唐手の源流は、今の沖縄にあった古来の武術「手(ティー)」だと考えられています。
この「手(ティー)」は14世紀ごろには誕生していたとされています。
琉球王国の誕生
唐手が生まれたのは今の沖縄県に当たる、琉球王国。
この琉球王国は1429年に誕生し、1879年まで続きました。
琉球王国は独自の国家として発展をする中で、地理的に近い中国(唐)とも貿易や外交をするようになります。
このころ、琉球王国の士族が教養として護身術である「手(ティー)」を学ぶようになりました。
さらに18世紀を過ぎると、琉球の武道家が今の中国にあたる「唐」から中国武術を持ち帰ります。
この中国武術と「手(ティー)」が融合し「唐手(トゥーディー)」ができました。
ここから今日まで、空手の長い歴史と発展が始まります。
門外不出の拳法として伝承される
唐手は長い間、門外不出の拳法として伝承されていました。
そのため具体的にどのように発展していったかは不明ですが、首里、那覇、泊を中心に発展していったとされています。
また、その発展の中で流派もたくさん生み出されました。
その中でも下記の3つは、現在も沖縄空手の3大流派として受け継がれています。
- 首里手(シュイディー)系
…政治の中心にあった首里の「士(サムレー)」たちによって受け継がれる。 - 那覇手(ナーファーディー)系
…中国系渡来人が多かった「久米村(クニンダ)」で生まれた。 - 泊手(トゥマイディー)系
…泊地方の「士(サムレー)」たちによって受け継がれた。
数百年もの間、唐手は秘伝として親から子へ、師から弟子へと、それぞれの地域で大切に受け継がれてきたのですね。
沖縄の古武道も発達する
唐手は門外不出の拳法として受け継がれていきますが、一方で、沖縄独自の古武道も発展をしていきます。
この古武道が生まれたのは11世紀~12世紀ごろ。
沖縄の古武道は、棒やヌンチャク、サイやトゥンファーと呼ばれる武器が使用されていましたが、中国との外交がさかんになる中で、このような道具が取り入れられるようになったと言われています。
そして古武道も、門外不出の武道として伝承がされていきました。
様々な説がありますが、この沖縄の古武道なども融合し、今の空手へと変化していったとされています。
明治に沖縄が本土化|唐手の流入が始まる
明治になると、沖縄が本土化へ。
それまでの琉球藩が廃止され、那覇市となります。
この琉球藩の廃止によって、それまで琉球で代々受け継がれてきた唐手が伝承の危機に直面しました。
そこで唐手の大家である糸洲安恒(いとすあんこう)は、とある対策を取ります。
初の学校教育への導入
1901年4月、糸洲安恒の尽力の甲斐があり、唐手が首里尋常小学校の体操科に導入されます。
これが、唐手が初めて学校教育へ採用された瞬間でした。
さらに4年後の1905年には中学校と師範学校(教員の養成学校)でも体育の中に採用され、沖縄で唐手が広く知られるようになります。
関東・関西での指導も広がる
大正時代になると、本土にも唐手が流入するようになります。
本土への唐手普及に大きな役割を果たしたのが、現在の空手の4大流派の1つである松濤館流の創始者「船越義珍」という人物。
船越義珍は唐手の修行をしながら、教員として働いていました。
そんな中、柔道の総本山である【講道館】で柔道の高段者を相手として、唐手術の講習を行うことになります。
これをきっかけに、本土の警視庁や大学へも唐手が広まっていくのです。
昭和時代に空手が浸透し始める
時代が大正から昭和へ移り、1936年に「唐手」は「空手」の名称に変化します。
もともとの「唐手」という名称から「手に何も武器を持たない」という意味の【徒手空拳】の「空」が使われるようになり、空手と呼ばれるようになったのだそう。
さらに、それまでカタカナで表記されていた型の名前も漢字へ改称され、本格的な空手の日本化が始まります。
昭和時代には海外での指導も開始
唐手が空手へと変わったころ、海外での指導も始まります。
1939年、ハワイにて日本の武道家による空手の指導がされました。
またこの時代は沖縄からハワイへ移民した人も多く、彼らがハワイでも空手を広めていったと言われています。
代表的な流派の命名が起こる
昭和時代には、代表的な流派に名前もつけられました。
- 剛柔流(ごうじゅうりゅう)
…那覇手(ナーファーディー)に、流祖の宮城長順が独自の要素を加えて作られた流派 - 松濤館流(しょうとうかんりゅう)
…首里手(シュイディー)の修行をしていた船越義珍によって命名された流派 - 糸東流(しとうりゅう)
…首里手(シュイディー)・那覇手(ナーファーディー)を修行した摩文仁賢和によって大阪で発祥した流派 - 和道流(わどうりゅう)
…松濤館流(しょうとうかんりゅう)の開祖「船越義珍」のもとで修行した大塚博紀によって発祥。幼いころより修行していた剣術・柔術の特徴を取り入れ、完成させた。
大きな変革となる戦後|空手の大衆化へ
第2次世界大戦の間は、学校教育での空手は一時中断されます。
戦後になり、沖縄戦からの復興が進む中で空手の道場が増えていき、空手が本格的に大衆化へ。
さらに沖縄は当時、米軍の統治下であったため米軍の人々が空手道場を目にする機会も増えます。
米軍人も道場で空手を習うように
沖縄に空手道場が増えていく中で、米軍の人々も空手に興味をもち修行をするようになりました。
そして修行を積んだ米軍兵は、帰国したアメリカで空手の道場を開くなど普及に力を入れたのだそう。
古くは日本人が中国から持ち帰った武術が、沖縄の武道と融合し、さらにアメリカへ輸出され世界中に広まっていったというわけです。
正式な競技ルールが成立する
1969年になると、空手の第1回全日本選手権が開催されました。
このとき初めてルールが統一化され、正式な競技ルールが成立します。
空手のルールが正式に成立し、初めての全日本選手権が開催されてからまだ100年も経っていないと考えると意外と最近ですよね。
ここから空手は「世界のKARATE」へと急成長をしていきます。
「世界空手連合」の結成
第1回全日本選手権から1年後の1970年、世界でも変化が起こります。
「世界空手連合」(後の世界空手連盟)が結成されるのです。
さらに東京で初めての世界選手権が開かれるなど、空手人口が世界へと拡大していきます。
昭和という時代の中で唐手が空手へ改称され、さらに世界空手連合までできるほど競技人口が拡大したと思うと、まさに昭和は空手にとって激動の時代であったと言えますね。
現代の空手とこれから|世界で広がりを見せる空手
空手は、現代の日本人なら誰もが知っている日本の伝統競技です。
さらに世界でも知名度が高い競技となった今、空手はどのように発展をしていくのでしょうか。
現代における空手を知りながら、今後の発展を予想してみましょう。
世界で1億人以上から愛される理由
今では空手は「世界のKARATE」とも言われ、150ヶ国以上、1億人以上の愛好者をもつ競技へと成長しました。
これだけ愛される理由は【空手の思想】にあります。
空手は肉体的な強さだけでなく、精神面の強さも追求する武道。
自身の精神と技に磨きをかけ、相手を尊重し礼節をもって戦う面が世界でも支持され、今日の発展に至るのです。
武道の必修化により国内の中学校授業に導入
2008年、日本国内の中学校授業に武道が必修化されました。
もちろん「武道」には空手も含まれるため、これから空手の授業を導入する中学校も増えることが予想されます。
ちなみに空手の発祥地である沖縄県では、県内の中学校の空手道実施率は80%以上(※2014年時、沖縄県教育委員会保健体育課調べ)と、かなり高い割合で空手を導入。
学生が空手に触れる機会が増えることで、今後の世代へ空手を繋いでいく一歩となりそうですね。
オリンピックの種目へ採用
東京2020オリンピックで、空手が正式種目に採用されたのは記憶に新しいですよね。
実はこの時、とくに反響があったのが「形(かた)」。
空手を競技したことのない海外の人たちにとって、空手の形をみることは初めての体験であり、日本代表の一糸乱れぬパフォーマンスは圧巻で反響を呼びました。
世界的にも空手の魅力に触れる人が増え、競技人口や愛好者も増えていくことでしょう。
まとめ
数百年前に、沖縄で生まれた空手。
先人たちが大切に磨き上げながら受け継いできた伝統文化が、世界でも愛され、評価されることは日本人として誇りに感じますよね。
空手の歴史やその魅力を知り、これからも空手という伝統文化を次の世代へと繋いでいきましょう。
【参考サイト】
沖縄空手の紹介:沖縄空手ー空手発祥の地 沖縄ー:沖縄政策:内閣府
沖縄から世界へ伝わる空手「文化」|沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語
空手道 – スポーツ辞典 – 笹川スポーツ財団
e-sui.com
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